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2010.12.05
【朝日新聞】おんなの一生 『ひでし』

おんなの一生 石野 小よし
『ひでし』 S41.7.6 朝日新聞掲載
陶工と一心同体に 名品をつくる”裏方さん”


さきに土をもむのは女の仕事—と紹介した。土もみのほか、土打ちというのもあった。土屋から買った陶土を、麦打ちのような棒でたたいて、細かくするのである。さらに大切な女の作業は「ひでし」である。
かわらぬ名の起源
「確か明治36年、私が小学校の4年生ごろでした。1番上の武助という兄が嫁を迎え、父とならんで火ばちをつくり始めました。火ばちは小ぶりの花びんや茶わん、徳利と違うて、手回しろくろでは、あんじょう(うまく)できません。それで兄のろくろの”脚”(あし)に縄をまいて、あによめが引っ張って回すのでございます。こんな仕事をする女を”ひでし”というてます」
ひでし—いつごろ、誰がつけた名かわからない。が、信楽の焼物つくりには、なくてならぬ縁の下の力持ちである。後の世にのこるほどの名器をつくった陶工には、必ず腕のよいひでしがいた—と言われる。
「兄はつまらん火ばちつくりやさかい、ひでしを勧めたあによめも楽でございましたやろ。そんでも、ろくろ師とひでしとは、呼吸がぴったり合わんとあきません。ろくろ台にのせられた土は、ただの土、柔らかにこねてあるだけのかたまりです。ろくろ師が手元の水で手をぬらし”さあ”と声をかけると、ひでしは縄を引いてろくろを回しはじめます」

たいがいは夫婦で
「大きな花びんを例に申しますと、初め、下から上へスウッと土を伸ばす時は、ろくろを早う回すために、ひでしは強く縄を引きます。次にふくよかな丸みをつける時は、やんわり縄を引いて、ゆっくり回るようにします。口でいえば簡単ですが、二人の心が通いあわんと、うまくゆきません。それで、ろくろ師とひでしは、たいがい夫婦でした。心が通うには、からだもいっしょにならんと、あかんからでっしゃろなァ」
このあたりの模様を書いた小説に、水上勉の「しがらき物語」がある。腕のいい老陶工とその弟子と美しいひでしが登場して、からみあいながら、名器が生みだされる秘密を描く。作者がこの町に来て、様々な陶工の話を聞き、主人公たちの人間像をつくりあげた。
モデルらしい——といわれる人は何人かいる。滋賀県の無形文化財に指定されている高橋楽斎さん(67)も、そのひとりである。小よしさんの家から1kmもあろうか。奥さんのツルエさん(58)は娘のころから楽斎さんのひでしを勤め、いまも変らない。
楽斎さんは奥さんを「ツーや」と呼ぶ。機械ろくろ時代になったが、大事な作品は、必ずツーさんが縄を引く。
「私とこいつと、二人でつくるようなもんや。縄を引く加減をようのみこんでくれてて、機転をきかせてくれよる。その代わりけんかしたらあかん。ろくろがうまいこと回りよらん。停電したようなもんや」と楽斎さん。

無口だった父と兄
小よしさんの父も兄も、無口であった。
「仕事場でむだ口をきいたら、ええものできん——というのがろくろ師の信念みたいなもんで・・・。立派なものをつくられるお方は、仕事中に笑うたら、その息でつぼや茶器の形がくずれると、弟子を戒めたほどでございます。それほどたいそうではございませんが、私の家の仕事場も静か、時折、父のせきばらいが聞こえるぐらいでした。けれど、あによめが来てから、何とのう花やいだようで、父もたまに笑顔をみせたのを覚えとります」
「でも、それも1年は続きませなんだ。日露戦争が起って、兄は戦地へまいりました。続いて、2番目の兄にも召集令が来て・・・・・・父はがっかりしたのでしょう、前より一層さびしそうな顔になって。この世はうまいこといかんものでございますなァ」