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2011.02.28
【朝日新聞】おんなの一生 『やぶ入り』

おんなの一生 石野 小よし
『やぶ入り』 S41.7.7 朝日新聞記載
年一回の楽しみ 「不足いうたらバチ当る」

丁稚(でっち)や女中にとってやぶ入りは、この上ない楽しみであった。盆と正月、新しい着物に新しいゲタ、小づかいのほか、親たちへの祝儀もいただいて・・・
「けれども、私の奉公していたお家では、年に一回しかやぶ入りがおませんでした。お正月の四日から六日の夕方まででございます。それで年の暮れになりますと、もう気もそぞろ。三が日の間はお客様がみえて、てんてこ舞いでございますが、あと二日で帰れる——いよいよ明日やと思いますと、足が地につかんようで・・・
チボに気ィつけや
「当日、いただく新しい着物は二子織(ふたこおり)でございました。二本の糸をより合わせて織ったもんで、もめんでも、ツルっとした手ざわりをしています。そして、この日ばかりは白足袋、ゲタもピカピカ光ってるみたいで、上から下までさらずくめ。奥様がくださったお財布には汽車賃とこころづけを合わせて、三円入っていました」「両手をついて、皆様に“行って参ります”——近所でおみやげの菓子折りを買うて、走るように京都駅へ参りました。みなからジロジロ見らているような、晴れがましい気持ち・・・出かけご主人様から“チボ(すり)に気ィや”といわれたのを思い出してあわててふところに財布のあるのを確かめてほっとしたり・・・」
「初めてのやぶ入りの時、貴生川へ着いたら、ふぶきでございました。京都も寒うおすが、信楽あたりは、もうひとつ冷えます。着物が汚れる、どないしょう——ええッ、かまへん・・・元気でございましたなァ。おしりからげて、駅を飛び出しました。えらい風で吹き飛ばされそうになります。おかあちゃん、おかあちゃん・・・口の中でお念仏みたいにとなえて・・・寒いのと、うれしいのと、何や悲しいのと、そんな気持ちがごっちゃににって、夢中で坂を上がり、下がり・・・途中、木の枝の折れたの拾うて、つえにしました」

泣き笑いの父と母
「家に着いたのは夕方でした。母が飛び出してきました。私の格好を見て“まあまあ”と、もう泣とります。髪はくずれ、着物はベショベショ・・・よっぽどあわれに見えましたんやろ。すぐに着替えさてもらいましたが、その間も父や母は“大きいなった”“よう辛抱して、えらいなァ”と泣いたり笑うたり。おぶったん(お仏壇)にお参りして、晩御飯でございます。私の大好きなおすし。何や胸がいっぱいで、ようけ食べませんなんだら“京都へ行ったらお上品になった”とからかわれて」
小よしさんの奉公は、明治四十四年三月まで、五年間続いた。そして最後の一年ほどは、病人の世話もした。
「ご主人様のご養子さんやそうで・・・・・・胸の病気でございました。この経験が嫁入りしてから、えろう役に立ちましたよ」

手当ては半期十六円
「お手当?半期に十六円でございました。月に二円六十銭ほど。ものの安い時分にせよ、えらい少ないことで、子供心にもがっかりしました。ひょっと
したら兄さんが、私の分を前借りしてはるのやないか——と考えたりしました。けれど、やぶ入りで帰っても
、ようききもしませんで。このあたりが今の若い人と違うところでございましょう。不足いうたらバチ
当たる、と思っていましたので」「春と秋、嵐山や醍醐へ遊山のおともをさせていただいたり・・・・・・私
は弁当持ちで。一度は祇園のお茶屋へつれていってもろて、都おどりを見物しました。この世にあんな
艶やかなものが、あるのんやなァーと、ポカンと口あけてたんでしゃろ“およし、よだれ落ちるで”と
笑われて・・・・・・」
多感な少女時代は、こうしてすぎていった。よかった——と彼女は述懐する。後に母となった子よしさんは、
二人の娘を女中に出すが「女は工場なんかへいくより、ええお家へ奉公するのがいちばん」という。経験
から割出した知恵であった。
「お前とこ、みんな女中や——と親戚から冗談いわれますが、女の道を勉強するのは女中がよろしい」
とこの信念、今も変わらない。