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2011.04.20
【朝日新聞】おんなの一生 『夫—仕事と浮気』

おんなの一生 石野 子よし
『夫—仕事と浮気』 S.41.7.12 朝日新聞記載
成功のかげに忍従 余裕できると芸者遊び


信楽に電気がついたのは大正三年、子よしさんは二十一歳であった。その前年、長女ひささんが生まれ、
続いて一、二年おきに長男文正、次女きく、三女一子、次男伊三夫・・・・・・。
「しゅうと・しゅうとめに仕事の手伝いをし、そして子育て・・・おまけに野菜つくりも致しました。石野家
はちょっとした地主で、小作人を使うとりました。けれど日常の野菜は、裏の畑で家のものが作ります。
これも私の仕事になりまして」

事故で長男死なす
「母が見かねて子守を雇うてくれました。忘れもしません、大正五年六月四日、子守が長男をおんぶして
近所のみぞに落ち、ひきつけを起して長男だけ死んでしまいました。アッというまの出来事。お医者を
呼んでも手遅れでございました。
子よしさんは九人の子供を産んだが、こうして長男を死なせた。
さて、このころ、町の製陶業者は信楽焼同業組合や信楽焼模範工場をつくって、近代化への手がかりを求めていた。
そのひとつに電力による機会ろくろがある。
「主人は百姓の出で、自分で土をひねるのは不得手。そこで機会ろくろの工夫を始めました。私、よう知りませんが、
信楽焼で変った事をして成功されたのは、途中から焼物を始めた方に多いそうで・・・しきたりに構わず、大胆に
やれるためでっしゃろか」
「主人はやり始めたら、夢中でございます。勉強のために、ほうぼうの産地へ出かけたり、家の広っぱに試験
のろくろをすえつけたり・・・田や畑を売って資金にしました。機械ろくろには、石膏(せっこう)の型がいります。
火鉢なら、火鉢の型があって機会ろくろの上にのせ、中に柔らかい土を入れて、ろくろを回しながら、型作りをします。
厚みも刃物のようなものを土に当てて、スーッと合わせると出来上がります。ろくろ師特有のカンと経験は
いらなくなるのでございます」

機会ろくろを完成
「これだけの大仕事、主人ひとりではできません。愛知県の瀬戸から渡辺寅之助さんという方を迎えて、
お手伝いしてもらいました。そして、三年目にやりとげました。それまで火鉢は手づくりのため、一尺
(約33cm)ものいうても、不ぞろいで・・・ところが機会ろくろはどれもきっちりした寸法で、その頃は手
づくりよりも機械もののほうが高う売れました。いまと正反対でございます」
たちまち全業者がこれならう。そして、火鉢全盛時代となる。子よしさんの家でも、七人の職人を雇い
、作業場を広げたりした。
「主人は“内弁慶・外すぼみ”とでも、いいますのやろか。外ではええお人で通っておりましたが、私
や子供にはきつうおした。呼ばでれて、ちょっとでも返事が遅れたら、もうどなります。同じことを二回
たずねたら、ほっぺた、たたかれます。研究で気ィ立ってるさかいや—と辛抱しましたけど・・・ご飯でも、
気にいらんことがあると、お茶碗を土間へたたきつけたり・・・。親とは義理ある仲、私に当たるほかおまへん
でしたのやろうなァ」
「嫁入りして、もう十二、三年たってました。子供は六人となり、押しもおされもせん主婦でございます。
けれども、芝居見物ひとつさせてもろたこと、ありませなんだ。さきに申しましたが、この時分もまだ
財布をもたしてもらいませんで、どれくらい家へお金が入ってくるかも分かりません。ただ主人の研究
を助けた渡辺さんに、月々百五十円渡しているときいて、びっくりしたことを覚えとります。職人の日当
が五、六十銭の時分でございます。そやさかい、家にはようけのお金、入ってましたんやろなァ」

夫の道楽に苦しむ
余裕ができると、たいていの男は道楽を始める。主人の里三さんも例外ではなかった。
「主人はお酒飲みません。けど、いつのまにやら、町の料理屋にいた“福助”という芸者にえらい凝って
・・・取巻きを四、五人連れて入りびたりでございます。意見したら、たたかれる・・・けど、情けないやら、
腹が立つやら・・・ある夕方、主人を連れもどしに料理屋へ迎えにいきました。居留守つこて追返されて・・・
七番目の子供が宿っている大きなお腹をかかえ、道をうろうろしていたら知り合いのお裁縫の先生に
会うて“早まったことしたらあかん”と慰められて・・・」
四十年余り前のにがい思い出に子よしさんは涙をふいた。