おんなの一生 石野 子よし
『こども』 S.41.7.13 朝日新聞記載
36歳までに9人生む 心豊かに育て・・・と願う
信楽名物のぼり窯—文字通り下から上へのぼり坂のように傾斜している。普通、窯といえばひとつだが、
それが連続して十室ほどある。見上げるほど巨大のものだ。
「ひとつの窯に直径一尺(約33cm)の植木鉢が、四百個入ります。十室で四千個、今の相場で百八十万円
から二百万円分でございます。前にちょっと申しましたが、窯に火を入れますと、たとえ親が死んでも、
たき終わるまで離れられません。ひとつの窯で五、六時間、みんなで五、六十時間かかるのでございます」
「主人は仕事には熱心で、おやつに茶粥の間水(けんずい)を持っていくと、火ぶくれのようになっとり
ました。何せ窯の中は千五百度ぐらい。ひとつの窯に百五十束のまきをたきます。熱い火鉢に当たって
たら、肌に赤いものができますやろ、あれのひどいものでございます」
しつけきびしい夫
「女にも“あうち”という役がございます。上段の窯にまきを入れると、外へ炎が吹き出してきます。
吹き出さないよう、一尺二寸(約40cm)ほどのうちわであおぐのです。これもえらい仕事で・・・うっかり
してますと髪がチリチリ焼けるほどで・・・」
さて、子よしさんはわがままで怒りぽい夫や、しっかり者のしゅうとめに仕えながら、三十六歳の昭和
四年五月までに、さらに二人の子供を生んだ。みんなで九人、うち長男が子守のミスで死んだほかは、
すこやかに育っていった。
「主人は子供を、礼儀を正週せえ・・・いうて、言葉使いから座り方、返事の仕方、箸の上げ下ろしまで。
そやさかい、子供達はビクビクして、遊んで戻ってくると私に小さい声“お父ちゃん、いる?”と聞きます。
おらなんだら急に元気になりますし、おりましたら、ちいそうなって・・・」
次男は反抗し家出
「みんなすき焼きが好物でございました。主人は初めは機嫌よう煮たりしてくれてますが、ひとつ気に入らん
ことがあると、急に怒り出して、お茶碗やお箸を投げます。子供は小さい時は我慢しておりましたが、大きィ
なるとちょっとは反抗します。次男が十八、九の時分“自分のいう通り仕事せん”いうて怒鳴られると、
家出してしまいました。私に“京都の伏見におる”いう連絡がございまして、二、三日してから戻って
まいりましたけど・・・」「子供がかわいそうで、主人の怒る分だけ、かわいがってやりました。主人が浮気
してたころ、私、ワラ灰から作った真黒な釉(うわくすり)を頭からかけられたことがございます。遊びに
来た親類と世間話をしていましたら、主人は自分のことをつげ口されてると勘違いしたのでございます。
悔しゅうて泣きました。そしたら、ひとりの子供が“僕ら、大きいなっても、お父ちゃんのような人に
なれへん”いうて慰めてくれました」
次女を女中奉公に
「けど、機嫌の良い時は子供達に“他人の世話になるな”“他人にもらうより、やる身分になれ”というて
きかせておりました。こじき根性をもったらあか戒めたものでございます。けれど、主人は度が過ぎており
まして、親類の法事に参りましても、ごっつぉう(ごちそう)になるのは、ほどこしを受けることや、というて
食べずに帰るほど。そやさかい、機会ろくろの研究などに、ほとんど田畑を売り、石膏(せっこう)型に成功
しても、それをお金にすることもしませんで・・・やっぱり好人物のだんな衆のひとりだったのでございましょう。
目から鼻へ抜けるような、才ばしった人ではございませんなんだ。子供も、おうようなところが伝わっとり
まして、商売人としては苦労でございますが、私は心がたっぷりしとればしあわせや、と思うとります」
「前後しますが、主人が好人物なったばっかりに、手形などで足をすくわれ、急にお金の回りが悪うなりました。
それで次女のきくは、町の実科女学校に通っていたのをやめさせて、京都のあるお医者さんの家へ女中奉公
させることになりましたよ。確か昭和三、四年でございましたよ。主人がむだなお金を使わなんだら・・・と、
うらめしゅうなりました」
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